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女囚・三田庸子・出前の遊女
2018.06.28

6月があわただしく過ぎようとしている。3月刊行の『いのりの海』(婦人之友社)が2ケ月ほどで再版になったのは望外とも云うべき嬉しいことだったが、刊行関連でラジオ収録、サイン会、講演会と慣れぬことが続きいささか疲れた。その中で考えたのは自分の旅の原点は何処かと云うことだった。

大学1,2年の頃、当時流行ったカニ族のような気分で、利尻、礼文、焼尻、天草、屋久島などを旅した。ロマン的であり、冒険心もあったが、それは今思い返して原点と呼べるようなものとは少し違う。

就職希望は、週刊誌の記者になることだった。事件を追うような記事を書きたいと思った。事件記者、トップ屋などと云う言葉に胸をワクワクさせた。週刊誌関係の会社を受験し、一つは内定が決まったと思ったが、行き違いがあって不合格。もう一つは、最終で落ちた。
大学紛争の最中だったこともある。教師なんぞは偽善的職業だ、そう思ったのだが、結果的には教師になるため大学院へ行くよりほかはなかった。大学院の入試がこの時だけ学科がなく面接だったことも安易な幸いだった。受験者も学内に限られ極端に少ない年だった。
今思えば、告発的なことに声を荒げていながら、その教授の面接を受けて合格したのだから、何とも忸怩たる矛盾に満ちた進学であったと思う。

まだ、記者になる夢を捨てきれないでいた頃だ。
『新しい女性』という雑誌だったと思う。・・・と思うと云うのは、その雑誌が私の本棚から出てこないし、女性雑誌の蔵書目録などを調べても、その雑誌が出てこないのだ。(おそらく1、2号で終わったのではないか・・)はっきりしているのは、私の文章が初めて商業誌で活字になったこと、初めて原稿料をもらったこと、そして、それが女囚の世界を題材にしていたことだ。

題は「待たれていない女」だったと思う。
50年も前のことだ。何しろ記憶がはっきりしない。

よく覚えているのは、この記事を書くために、栃木の女子刑務所を訪ねたこと、そして取材で、三田庸子さんに会ったことだ。三田さんは、聖公会の信徒(紹介してくれたのは大久保直彦主教だ)。香蘭女学校舎監を戦前につとめ、戦後は女性として初めて和歌山刑務所長を務めた人物として知られている。映画化された『女囚とともに』の著者。そのいただいた本は書棚にある。

「女性は悲しいのよ。出所する時にね。刑務所の前に誰か待っている人、男の人が待っているとね。大丈夫かなって心配するのよ。家族の方もほとんど迎えに来ないわね。出所前の頃から、わざと違反しての出所時期を遅らせる人もいるのよ。模範囚の方にも多かったわね。待たれていないのよ。」

「男の方は違ってよ。何年も待っている女性の方がいるのよ。刑務所の側に住んで待っている人もいるのよ。迎えもほとんどの男の人に来るのよ。出所前には、絶対失敗なんかしないのよ。出所が待ち遠しいのよ。」

こんな話を聞いたことも思い出す。

私が軽率に、「今後も底辺女性の記事を書いてみたいと思っています」と別れ際の挨拶のように語った時だ。
「あなたね。底辺女性なんていう言葉使っちゃだめよ。底辺、ひどい言葉よ。あなたは何処にいるの。どの辺・・」
三田さんはその頃今の私より少し若いくらいの年齢だった。ふくよかなあたたかな語り口の人であった。

三田さんから刑務所への取材紹介をいただいた。
栃木の刑務所の事務室で、刑務官の方の話を聞いていると、若い女性がお茶を出した。
「ありがとう」と刑務官が軽く会釈をした後で、私に向かって云った言葉が忘れられない。
「今の方ね。とってもいい方よ。ロッカー殺人事件の人もいい人が多いのよ。」
この頃、新生児をコインロッカーに遺棄する事件が多発し社会問題となった。

刑務所の高い塀の脇を通って帰ろうとすると、中から昼時を知らせるのであろう、トルコ行進曲が鳴り響いた。しばらくこの曲が離れずに胸で鳴った。

中世の無常観などと云う勿体ぶった辛気臭さに嫌悪して、井原西鶴の浮世草子を夢中で読んでいたのもその頃だ。

『諸艶大鑑』(巻五 死なば諸共の木刀)に「勤めのほどもいま一とせにたらず、いづくにても、出前の女郎はさびしくなるものぞかし」という表現が出て来た。通常の訳は「遊女の年季もあと一年足らずになった。どこの女郎も、年明き前は売れなくなるものだ。」(明治書院 『対訳西鶴全集』)。「さびし」は、江戸時代語では、現代語の「さびし」が精神的な意味合いが強いのに対して、一般的には物質的欠乏のニュアンスが強い。遊女が廓を出るころには客も思うようにつかず、金銭的にも苦しくなると考えるのであろう。これでいいのかもしれないが、「さびし」には、この頃からすでに精神的欠乏感を云うのではないかと思った。「さびし」の用例カードを靴箱に立て並べていったのもこの頃だった。(語彙の分類はつかず、「さびし」も「わびし」も未だに意味が取れない・・)

束縛を説かれ自由になるはずの遊女が、世間から「待たれていない」感情を「さびし」と云ったのではないか。西鶴はそんな思いを込めたのではないか。古典を現代に置き換える読みもあるのではないかなどとも思った。

法然の前の室津の遊女、そしてイエスの前のマグダラのマリア。カオスの中で私の研究は祈りを軸足にしながら泥沼にはまっていったのだ。

後に遊女の墓を訪ね歩いた旅への原点が、ボロボロになるまで読んだ『諸艶大鑑』と栃木で聞いた「トルコ行進曲」に重なっていることは確かだ。

2018年6月28日 渡辺憲司(自由学園最高学部長)


 
 


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